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【春秋五覇】春秋戦国スレpart2【戦国七雄】

1 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 23:36
―春秋戦国時代―…それは中華の人々が初めて経験した大乱世
周の幽王の死から秦王政すなわち始皇帝の統一までの550年間
人々は戦乱に疲れ、何より平和と安寧を求めた
そしてこの弱肉強食の時代は、数々のドラマを生んだ
それらはあまりにも人間くさい その前の殷周時代よりも遥かに…
歴史に燦然と名を残す名君、国家を繁栄に導いた賢相、主君の覇業を援けた名将、忠に生き義に殉じた忠臣
世を憂えその思想を後世まで伝える哲人、口舌で乱世を乗り切った論客、そして傾城傾国の美姫…
そんな彼らが活躍した舞台、春秋戦国時代について語りましょう。

【春秋五覇】春秋戦国スレ【戦国七雄】(前スレ)
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1030716703/l50

2 :誘導:04/03/03 23:37
世界史@2ch掲示板
http://academy2.2ch.net/whis/

3 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 23:44
>>1
普通に乙

4 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 23:47
4と言えば介4推。

この人も春秋戦国時代の人だよな?

5 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 23:54
5といえば、5子胥

6 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 23:56
5と言えば5起。この人は、ある意味、春秋戦国のヒーロー。

7 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 23:56
6といえば6う(老)子

8 ::04/03/03 23:57
うわ、先に5取られちゃった。

9 :7:04/03/03 23:58
6めえぇぇえぇぇぇぇぇぇぇ!!!!

10 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 00:02
>>6-9
う〜む…(´゚д゚`)

11 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 00:04
part2までレスが伸びてるのにも拘わらず誘導とかに2getされてるし。

12 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 01:47
12史略

13 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 03:54
十三経

14 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 17:23
全然関係ないんだけど
三国志の地図見てから春秋戦国期の地図見ると「狭っ!」て思うね
三国志期と言うか後漢全盛の版図の右上の半分くらいしかないし
三国志の魏って戦国時代なら中華統一してるんだな

15 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 21:29
15でねえやは嫁に行き

16 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 21:47
>>14
単純な国土面積の比較で何をわけのわからんことを……

17 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 21:49
十六国と七雄は被る国号が多い

18 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 23:09
>>16
いや単純に秦漢時代で一気に中華世界が広がったんだなと言いたかっただけなんだ
言葉が足りなかったな
戦国期の中華世界と三国志の魏の版図が似たようなもんだってことは
やっぱり支配し易さとか何かあるのかね
そりゃ中原は発展していて南方の揚州とか荊州南郡とかは無人の荒野みたいなもんだったんだろうけどさ

>>17
三晋以外の国名は地名だったからじゃないかな
鎌倉とか室町とか江戸って感じ?
三晋は国名が地名になった珍しい例だし

19 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 23:17
江南は漢族が侵略するまで無人だった?

20 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 23:18
越が…

21 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 23:50
>>19
みたいなものって言ってるじゃん
極地や孤島以外で人間のいない場所は当時でさえほとんどなかったんじゃない?
アフリカの狩猟採集民族みたいなのがいたってあんまり国力にはなんないでしょ
農耕民族じゃないと国力つけるのって難しいしね

春秋時代に周辺諸国にどんな国があったかもわかれば面白いんだけどな
北は匈奴とかいるのわかってるから南
まあ楚や呉越は春秋期の最初は南蛮扱いなんだろうけどさ
戦国期とかは同化してるしさらにその南のベトナム辺りがどうなってたのか興味あったり
中華世界の周辺諸国って全然文章とかで残ってないんだよね
まあ高温多湿の環境だから木簡とか残らない環境だってのはわかるんだけど
銅器も錆びて腐るしな

楚漢抗争期には秦より版図狭くなってるみたいだし南にも何か国あったんだろうとは思うんだけどね
よくわからないんだよね

22 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 23:58
中華の世界ねぇ・・・・。
ちなみに漢の平帝の時代(西暦2年)に行った人口調査によると、漢の人口は
約五千九百五十九万人。ベトナムの交シは約七十四万人で、この数字は
洛陽・長安に匹敵する数字なんだけど。

23 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 00:05
>楚漢抗争期には秦より版図狭くなってるみたいだし南にも何か国あったんだろうとは思うんだけどね
>よくわからないんだよね

南越・東甌

24 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 00:24
>>22
どこまで正確な数字かはともかく
全然不自然じゃない人口だと思う。
つか、古代の「海のシルクロード」あまりに軽視され杉

25 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 00:57
記録に残ってる事だけが全てじゃないからな
中国は記録を残す習慣があったお陰で歴史においては得をしてると思う。

26 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 01:25
最近この時代に興味持ち始めた者なんで非常に助かる
皆ありがとう

史書色々読破してもっと高級な話をできるように頑張るよ

27 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 02:32
韓非子がどもりだと言われた理由は

慣れない秦の言葉で話そうとしたからかみまくりだったためである




…だったとしたらあまりにも不憫だ

28 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 15:44
>>27
韓非以外の思想家や将軍だって他国に行ったらカタコトだっただろうよ。

29 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 23:10
>>28
雄弁な縦横家連中の舌は、言語や方言をも凌駕するものだったかも知れないな

30 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/06 03:50
縦横家は話芸のプロで、上代の口承家の系譜をひくものであり、
新興の文字のプロである儒家のライバル。

・・・・といってみるテスト


31 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/06 13:52
それ、意外と本質を衝いてるかもよ。

32 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 15:11
田斉って結構いいところまでいってたんだな
ビン王の時代に周囲全部を敵に回すような真似さえしなければ天下統一してたのは斉かも
俺は何故か斉が好きだから残念でならん

33 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 16:05
前スレで1000取った香具師は、なかなか味のある真似をしてるな。

34 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 17:36
↑ 今、見てきた。確かに、ニヤリとさせられた。こういう感じの書き込みは、
趣向を凝らそうと思っていても、そのチャンスがなかなか得られないからなぁ。

35 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 17:55
「六芸に通じる」ちう言い方があるけど、六編の書物に通じてることなのか
弓矢や馬芸などの体術に秀でていることなのか、どっちよ。

36 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 22:01
「礼、楽、射(弓)、馭(戦車)、書、数」だったかな?

37 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 22:52
2000年も昔から数学ができないとダメだったのね ◎| ̄|_

38 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 01:22
晋と楚の戦い(城僕や、泌、エンリョウ)が何げにカコ良い

39 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 01:48
多分、そんなに実践的な「芸」が要求されたのは古代だけ
それ以後の時代は
「君子に必要なのは正しい道徳観と、その具体的な表現としての文章力だけ」
ってことになっちゃってる
確か唐代に科挙が始まったときに
「明算科」って会計実務者のカテゴリーがあったけど、すぐ廃止されたはずだよ
計算ができるだけの君子でもない香具師をエリートにする必要はないってことらしい

40 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 14:59
宮城谷読み過ぎて目が悪くなった

41 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 15:47
>>39
そんなんだから日本でも算術が学問として認められんかったのか

42 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 21:12
なんとなく能力振りをしてみます。三戦っぽいことしてみたくなったんで。

商鞅
【政治】100 (商鞅の変法。後代までその政策が受け継がれた点で評価UP)
【兵略】42 (武勲ではそれほど目立たないが、魏の弱体化を図り秦の東進を説くなど戦略眼はあった)
【知略】81 (魏を攻めた際に、当時では許されないようなエゲツない策謀を展開)
【魅力】42 (変法運動のおかげで嫌われていたが、公叔座や孝公、景監らには認められている)

甘茂
【政治】73 (農地や軍路の開発に従事。左丞相として秦の強大化に一役買う。)
【兵略】72 (蜀攻略戦・韓攻略戦で武功を立てる)
【知略】76 (右丞相の樗里子と同じく、ウィットに富んだ男で窮地に陥っても身を滅ぼすことが無かった)
【魅力】64 (讒言によって秦を追われたのがマイナスだが、その実力はどこにいても認められた)

魏且(←「ゼン」を代用。穣公)
【政治】82 (姉のコネとはいえ秦国内で莫大な権力を握り、丞相を三度務め、その蓄財は王室を上回った。)
【兵略】76 (白起や胡傷ら猛将を束ね、芒卯や暴鳶ら各国を代表する武将を打ち破っている)
【知略】79 (謀略でのし上がり、三十年近く実権を握り、彼の所領は実質独立国のようだった)
【魅力】60 (私腹を肥やし秦王室を蔑ろにしたが、子飼いの猛将は後の昭王全盛期に活躍した)

43 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 21:26
まあ待て。
こういう時はまず能力のアレな奴から数値化すべきだ。趙括とか。

44 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 21:42
そういえば、魏ゼンの領地はその後どうなったのだろう?
孟嘗君のセツみたく潰されたのだろうか?

45 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 21:55
>>42
甘茂の知略76に対して、魏冉が79は低いんではない?

46 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 22:52
数値化か…
このスレ終わったな…

47 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 23:00
以前はゲーム化を望む別スレがあったな。

48 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 23:09
横山光輝が史記以上の細かい奴を漫画化すればゲーム化も可能か
三国志しか興味の無い香具師ばっかりだから現状では不可能だな

49 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/16 00:22
三国時代は離散から統一までが短いから、ゲームにしやすいんだよな…
かといって、「覇王になる」が勝利条件だと弱小国には絶対無理だし。

50 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/16 00:41
ゲームにするならCivっぽいのが相性いいかな(ゲーム化スレでも言ったかな)
この頃って領地が点の概念だし新技術・思想がじゃんじゃん出てくる時期だし
Civの外交と内政中心の勢力・文明進歩争いが似合う

51 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/16 01:21
三国志のスレは死ぬほどあるのに
三国志よりもずっと長く人も多い春秋戦国スレがなんでここだけなんだYO!

52 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/16 01:57
>50
俺が知ってるのはFreeCIVだけだけれど、
とりあえず、バーバリアンが怖そうだな。

53 :42です:04/03/16 02:10
あら中々不評ですね。
能力値や人選は適当です。秦が好きなのでその辺から本当に適当にチョイスしただけです。
で、別に能力値云々はどうでもよかった(?)んですが、春秋戦国時代のスレッドは世界史板に
同じようなものがあったので三戦板で同じようなアカデミックな話題ばかりでもどうかと思い、
なんとなく遊び心で数値化してみただけです。なんかここのところ話題が少なかったですし・・・。
でもやっぱりここはアカデミックな話題がしたい人が多いようで「三戦厨」みたいなノリは嫌われますね・・・

>>47
それは恐らくhttp://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1050918788/のスレだと思います。
他にも同じようなスレッドが二三ありましたが、いずれも超短命・・・・
ちなみに、このスレッドをたてたのは私です。それと、今だから言えるんですけどスレの中で
ネタを振っているのは半分以上が私です・・・自作自演はしませんでしたが、こうでもしなきゃ閑古鳥が
鳴きっぱなしでしたね・・・


まぁ兎に角、ゲームやマンガが三国志ほど多くないので(というか少ないので)あまり知名度が少ない時代ですけど
その分私みたいな厨房がすくなくて良スレだと思います。
ゲームスレの話題があったのでうれしくなって出てきてしまいましたが、以後名無しに戻ります。ご迷惑をかけました。

54 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/16 03:07
ゲーム板に池

55 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/17 19:39
パラメごっこは昔はやったけど今はドキュンくさくてやだなぁ

56 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/17 22:23
武力が高そうなのはこいつとこいつとこいつ、知力が高そうなのは
こいつとこいつとこいつ、この特技を持ってるのはこいつとこいつ、
みたいに縦割りで話してくれれば解るんだが。
ありもしないゲームの能力値を百分率で振られても、コメントの
しようがない。

57 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 00:46
>でもやっぱりここはアカデミックな話題がしたい人が多いようで
そーじゃなくて、おまいのパラメごっこが普通につまんないんだYO!

とんだスレストッパーだな、こいつ・・・

58 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 03:38
>>57
もう構うなよ。
マターリ次の話題を待ちながら保守

59 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 11:42
じゃあとりあえずお題をひとつ。
春秋時代の貴族って時には粛清されたりもするけど、でもいくら粛清しても
公室のちからが回復しないのはやはり他の貴族がそのぶん勢力を広げて
いるってこと?晋の六卿なんて時代によって顔ぶれが違うけど常に「六卿」だし。

60 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 14:02
>>59
なんというか、晋の場合は公室が粛清されまくって貴族を抑えることが出来なくなったから

61 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 16:10
>>59
春秋期といっても、晋や楚が台頭してくる以前の時代は、君主の威権が
貴族の勢威を凌いでいた。

そもそも、多くの国で卿に列する貴族というのは、元をたどれば公族から
派生して後(姓に代わって奉邑名や官名等を)氏として続いている場合が大半。
「鄭の七穆」、「斉の国・高二卿」、「衛の孫氏」、「魯の三桓」、「晋の六卿」、
「宋の華氏」、「楚の若敖氏や昭・景・屈の三氏」など、君主の子孫がほとんど。

当初は君主が信頼して顕職に就けていた上記に類される貴族も、代を重ねる
毎に君主への忠誠よりも自家の保全を優先する様になる。
これは、公族から派生した貴族が国政を裁断できる、という、いうなれば卿位に
昇れる条件を君主みずから作ってしまった結果ともいえる。
「鄭の七穆」や「魯の三桓」はその最たる例なんじゃないかと。

彼ら公族から派生した公族は、さらに分派していくことで政争に遭っても容易に
氏族全てが粛清されるわけでもなく、残った家が力を蓄え、時には亡命先から
同族のつてで復権をはたしたりと、徐々に勢力をのばしていったと思う。

晋に関しては、献公の時代に公族の大規模な粛清があり、更に時代が下り
成公の代に、卿位にある貴族の子弟を公族扱いとする官制を設けてしまい、
それが貴族の台頭を助長させてしまったともいえる特殊な例。
だからか、献、恵、懐、文、襄、霊公の代までは一度限りで卿位にある貴族の
名がよくみられる。
晋で残った大きな家といえば、欒・韓の二氏くらいになってしまったみたいだし。

62 :55:04/03/18 16:32
>>53のパラメ厨がかわいそうなので少し擁護すると、
数値化じゃなくて武力ベストテンとかのランキング形式なら
おだやかな気分で見守ったと思う。
やさしい短レスのひとつくらい入れたかも。

63 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 16:33
晋の六卿が6人に固定されてたのは6軍の司令官を兼ねてたからだよね?

64 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 17:02
>>63
累年の政争で多くの貴族が淘汰され、とりわけ勢力の大きな家が
ほぼ六氏に限定されてしまったため。

ついでにいうと、「六軍」ではなくあくまで「卿」。
一時期は六軍の時代もあったけど、六卿時代では、いちおう晋の軍制は
三軍の形態であって、一軍二卿。
だから上位六人の卿位を、勢力の大きな六氏が占有するようになった。

65 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 18:38
>64
それが「趙氏」「魏氏」「韓氏」「士氏」「中行氏」「知氏」の六氏な訳ね。
かつては「三谷β」と呼ばれた「谷β(げき)氏」や「ラン氏」なんてのもいたけど
淘汰されてしまったと。

66 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 18:48
そういう時代をうけて韓非子が法治主義を説いたんだよな。
最近、韓非子を読み終わったので取り合えず触れてみたかったの。

67 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 19:41
ん……>>59=>>66

68 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 19:45
>>66
昔古文の教師に
固有名詞の場合は韓非子ではなく韓非だ!
と言われたのを思い出したよ

69 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 20:03
固有名詞→人名

70 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 20:06
>>68
よくわかってる先生なんじゃないかと。

それなら、初めは韓子だったのが、唐の韓愈と区別するのに韓非子に
なった事も言ってたんじゃない?

71 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 21:23
韓非は韓の公室の中ではやはり傍流の出なのかな?
公仲や公叔といった名門貴族が国政を壟断して国体の改革が進まず、
秦の侵略に曝され続ける状況が歯痒かったんだろうね。過去には『申不害』
という模範的な政治家がいたし、隣国の秦が『商革央』の変法によって
強国化していく様子も知っていただけにね。
そういえば『張良』は韓の貴族の出だけど、彼の先祖あたりが韓非の言う
「君主の明を覆い隠す存在」だったのかも。

72 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 23:59
>>71
『申不害』も『商革央』もそうだろうけど、最も直接的に影響を受けたのは『荀況』でしょうね

73 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 14:16
「鞅」の字、出ない?

74 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 14:21
>>64
戦国時代の秦より最盛期の知氏の方がでかかった。
たぶん公室の領地や中行氏・士氏の旧領は
ほとんど知氏の領地になってたんだろう。
知氏滅亡の直前まで趙・魏・韓はかなり小さかったらしい。



75 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 15:28
>74
そうなの?『戦国策』の中にそんな感じのセリフがあるけど、でも弁舌家の言うことは
ある程度差し引いて考えないといけないからなぁ。
それに趙は代と中山を、韓は鄭をそれぞれ併合しているから、三晋の領土=晋の旧領
とは限らないんじゃないかな?

76 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 17:03
>弁舌家の言うことは

晋の最盛期は戦国の秦より大きいんだからあり得ると思うよ

>それに趙は代と中山を、韓は鄭をそれぞれ併合しているから、
>三晋の領土=晋の旧領とは限らないんじゃないかな?

三晋の領土=晋の卿だった頃のもともとの封領+知氏を分割した分+晋以外から奪った分
でそ

77 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 09:09
弁舌家の発言じゃなくて丞相かなんかの発言じゃなかったか?

78 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 11:25
>>74
>>64だが、何故に自分へのレスなのかわからない。


>戦国時代の秦より最盛期の知氏の方がでかかった。
いくらなんでも誇張にすぎるんじゃない?
それに、戦国期の秦、といっても、いつ頃の秦を指していってるので?
少なくとも趙の版図は狭小でもないし、范・中行氏の領土は四氏で分割
したという記述もある。
それに六卿時代の初頭から、三氏が、滅んだ他の氏族の領土を加えたり
、邑を交換した、という記述もある。



79 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 19:43
戦国当初の秦はかなり小さいけど、>>77の発言って
秦のいつごろのものだっけ?
そろそろ秦が強くなってきた頃で、
あんまり初期でもなかったような気がするが・・・

80 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 23:59
>79
昭襄王の時のもの。って50年近く在位期間があったんだよな。
ただ、孟嘗君や亡卯より後の時代で魏斉が魏の実権を握っていた頃だから、
ハンショが秦に行った直後ぐらいかな?
ちなみにその頃は楚の呈βがすでに陥落して南郡とされ、大梁も秦軍によって
包囲される事態に直面していたあたり。

81 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 01:13
あれ?レスが止まった?しょうがないな、話題を少し変えるか。
戦国期、最大勢力を誇った楚の凋落っぷりについて何か語ることはないかな?


82 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 02:18
三戸って三家or三軒?

83 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 07:32
>>82
地名

84 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 15:41
>>81
楚が秦の侵攻に抗しえなかったのは、必然の結果だと思うよ。
楚の貴族階級が呉起の改革を拒んで旧態に復した結果、楚の軍制は
貴族の連合体にすぎないわけなんだろうし、変法以降、完全に組織的に
編制されたうえ軍功授爵を徹底した秦軍が相手じゃ、質的な面でもまったく
異なるだろうし。
また、司馬錯の提案によって、前年に巴蜀を併呑した事で、侵攻に際して
水路を併用できる利点を得たのも大きかったと思う。

それに、当時の楚が外交で孤立しかけていたのも敗因のひとつ。
懐王以降、楚の外交はあまりにお粗末で、今日、秦と結べば明日は斉と和する
っていう始末。
五カ国の侵攻によって斉が滅亡寸前の窮地の際には、楚は斉王を殺して
しまっているし、韓・魏は大きなアテにはならないどころか恨みを買ってる
といっていいし、三十数年の外交で積り積ったツケが一気に来た、って感じ。

名相・魏冉や名将・白起の活躍もあるけど、それは複次的なものかもね。

85 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 20:11
楚の対外政策のお粗末さには、腰の定まらない外交に加えて動きの鈍さが
あるんだよね。戦争での大敗や懐王の抑留といった未曾有の危機に見舞われ
ていたとはいえ、その後の一時期における鈍さはなんだったのだろう?
秦で武王が死んだ直後の混乱期にはなんの介入も出来ずに指を咥えて
見ていただけで、同じ時期に活発な動きを見せて中山を併合した趙の武霊王と
比較すると雲泥の差に感じられるんだけど。
それとも丹陽・濫田での戦役の痛手はやはり大きかったのかな?

86 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/25 09:07
>>85
>丹陽・濫田での戦役の痛手

『戦国策』では、杜陵の戦い、といわれている戦争だね。
信憑性の是非は別として、『史記』では楚兵の斬首八万、『戦国策』では
通侯執珪死者七十餘人、とあり、少なくとも執政・将軍クラスから奉邑を
所有する貴族まで合わせて七十人ほども戦死したということになる。
あわせて秦への橋頭堡ともいえる漢中を失っているうえ、韓・魏の軍勢も
敵に回して、さらに戦前の外交で張儀に躍らされ、斉とも断交してる。
この時期の楚はみてらんないほどに惨めというしかないね。
ケチのつきはじめ、とでもいうんだろうか……。

87 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/25 20:16
張儀には清々しいくらいの騙されっぷりだよな・・・
あれを見ると張儀(&蘇秦)フィクション説も頷ける

88 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/25 21:09
                      懲りずにまた騙されるなんて流石だよな
商・於、六百里の約束じゃ      ∧_∧
なかったのかYO!   ∧_∧  (´<_`  )  
              . (;´_ゝ`)  /  ⌒i   ←屈原
              /   \     | |
       懐王→  /    / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
           __(__ニつ/ by張儀. / .| .|____
               \/____/ (u ⊃



89 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/26 17:11
屈原のファンタジーな詩は実にイカす。
直諫の士っていう硬骨漢なイメージとぜんぜん重ならないんだが、こういう
マルチな才能を持った人がこのへんの時代にはぽろぽろいて興味深いですな。
商人になった范蠡とかもそうだし。

90 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/26 23:52
張儀の憎まれっぷりは凄まじいな。樗里疾・甘茂・犀首・陳診(字あってたっけ?)等、
敵ばかりだ。しかも相手はいずれも第一級の大物ばかり。これで天寿を全うしたわけ
だからたいしたものだ。

91 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 10:03
飛徒追過(ひとおうすぎ)

戦国時代の中国。楚に飛徒(ひと)と呼ばれた軍団がいた。
読んで字のごとく、飛ぶように戦場を駆け巡る軍団である。
しかし、後先考えずに戦場を駆け回るため、敵の策にかかる事も多かったと言う。
そのため司令官は飛徒の行動に常に気を配らなければならず、飛徒が深追いをしようとすると
大声で「飛徒!追過!」と叫び、彼等を制止したと言う。


現代社会ではとある巨大掲示板群でまれに発生する「人大杉」という状態があるが、
これが「飛徒追過」が由来である事はあまり知られてない。

民明書房刊「鯖と板」より


↑このコピペつくったのは誰だ。正直に名乗り出なさい(w

92 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 11:23

それってまじ?
なんか嘘っぽいんだけど。

93 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 14:14
↑確かに時代考証はあっている。
 しかし、由来なのかは不明だな

94 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 17:27
民明書房が嘘吐くわけないじゃん!

95 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 21:43
この板の住民は純粋な人が多いな。

ちなみに、斉にいた料理人の易牙は子供を調理して恒公の機嫌をとったことで有名だが、
彼は宮廷に出るとペコペコして遜るが、厨房に戻ると傲岸不遜になったために
小人が特定の場所で分をわきまえずに振舞うことを「厨房」と呼ぶようになった。

2chの「厨房」もここからきたという説もある。

96 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 22:56
それはアレか?太公望書林か?

97 :無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 13:07
さすが民明書房、素晴らしくグレートだな

98 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 20:07
194 名前:NPCさん :04/03/09 15:26

 春秋戦国(同人)をプレイ。
 本日の名言。
 「ソンピン雇いたかったけどオアシがない」



 ・・・・・・偉い人にはわからんのですよ。

99 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 00:15
塚本氏の小説「田釐子・成子」にて、(恐らくフィクションでしょうが)晋を追われた六卿の二人、
中行寅と范吉射が田釐子(田乞)の私兵となっていたのを読み、ふと、「晋の六卿の出自ってどう
だっけ?」と疑問に思って調べてみました。

趙氏・・・祖は、周の穆王の御者「造父」
魏氏・・・祖は、周の武王の弟「畢公高」の子孫「畢万」
韓氏・・・祖は、曲沃の荘伯の弟「韓万」
范氏・・・祖は、周の将軍「杜伯」の子孫「士会」

で、ここまできて残りの「智氏」「中行氏」の出自がいまいち判りません(^^;
元は「荀氏」で、始めて「中行氏」を名乗ったのは晋の将軍「荀林父(中行桓子)」。
本家が「中行氏」、分家が「智氏」らしく、更に前の先祖に「晋の原氏」というのが出てくるよう
なのですが、この辺がハッキリしません。

どなたか詳しい方おられます?

100 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 00:39
中行氏と荀氏と范氏と士氏と知氏の関係を誰が整理してくれ

101 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 01:50
>>100
荀氏、中行氏、知氏については詳しいことは知らない
士氏については、先祖は>>99にもあるように”杜伯”らしい

周の宣王の頃、将軍に任じられた杜伯は蛮夷征伐で活躍し、王朝の権威復興に一役かった
だが、後年、何故か宣王に無実の罪を着せられて死罪
この時、杜伯の息子”隰叔”が晋に亡命、そこで”士師(軍事のトップ?)”に任じられ
たため、この官職名をそのまま姓にしたらしい

その後、晋の文公、襄公の辺りで士会登場(祖父は晋の大司空、士蔿)
随を奉邑としたので、随会と呼ばれたりもする(史記には随会の記載あり)
士会はかなりの傑物で、後に上軍の将にもなり、新たに范も奉邑としたので、この地名を
姓としたようだ(士会=随会=范会)
士会は死後、范武子と諡されている

102 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 09:00
1)荀氏→中行氏&知氏

2)士氏→范氏

ということ?1と2の間に関係はないの?

103 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 10:34
>>99>>100>>102

まず、荀氏から。
荀氏の祖は晋武公に仕えた原黯で、武公によって滅ぼされた荀を与えられた
のがはじまり。
荀は周・晋と同じ姫姓の国で、少なくとも、前705年(武公11年)には虢に
率いられて芮、梁、賈の国々と晋を攻めているので、これ以降に滅ぼされたと
考えられる。
晋献公に仕えた荀息と原黯の関係は不明。
驪姫の乱の末に荀息が死に、晋文公の代に現れる荀林父と荀息の関係も不明。
荀林父は前633年に晋文公の御者となり、翌年に新設された三(中右左)行という
歩兵部隊のなかの中行に任じられ、それ以降、荀林父は中行林父とも中行伯とも
呼称される。
荀(中行)林父の弟が荀首で、おそらく荀首の子・荀罃から知氏を称したと思われ。
以降、中行氏は、庚 → 偃 → 呉 → 寅、と続き、寅の代で晋の中行氏が滅亡。
かわって知氏は、朔 → 盈 → 躒 → 申 → 瑤、と続き、瑤の代で滅び、晋は
三晋へと分裂。
また、荀氏は枝族が多かった模様で、家、會、賓、といった名もでてくる。
両氏の各代での事績は長くなるので省略。

104 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 10:35
次に士氏。
士氏の祖は>>101の仰るとおり。
ただ、士蔿と士缼、士穀、士会の関係が断定できるほど確かではなく、通説では
士蔿の子が士缼で、士缼の子が士穀・士会、らしいものの、士穀と士会が兄弟で
ある確証はないらしい。

士氏は、士穀の家系と士会の家系に大別されるようで、順をおっていくと
穀 → 渥濁 → 弱 → 丐 → 弥牟、と続き、諡号をみても伯を冠しているため、
おそらくこちらが本家と思われ。次いで士会の方が、
会 → 燮 → 丐 → 鞅 → 吉射、と続き、更に燮の弟の家系も存在し、
   魴 → 裘、と続いたらしい。
ちなみに、范氏を称したのは士会から士燮へと続いた家系のみで、他の家系も
渥濁の代に瓜衍という邑を授かり、魴の家系は彘という邑を授かっている事が
確認されているものの、魴が歿した時に裘は幼年であったらしく、裘より後が
どうなったかは不明。
両氏の各代での事績は長くなるので省略するものの、どうやら士会の定めた
「范武子の法」(爵禄などに関する法らしい)を晋君の命で渥濁が習得していて、
法官としての働きは渥濁の家系が担当していった模様。

かなり簡潔に綴ったけど、荀・士氏の系図はこんなところ。

105 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 10:38
あと、資料は、『春秋左氏伝』『史記』『竹書紀年』『国語』あたりによったけど、
詳しい方のツッコミを待ちます。

106 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 21:57
なかなかすごい解説だな
長いのがちとウザいが、
とりあえず神

107 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 23:29
前のスレでも同じような話題があったと記憶している。
前スレ見られる人は一度そちらも。

108 :某スレ240:04/04/04 00:41
>>104
ちょっと重箱の隅をつつかせてもらうと、

>ただ、士蔿と士缺、士穀、士会の関係が断定できるほど確かではなく、通説では
>士蔿の子が士缺で、士缺の子が士穀・士会、らしいものの、士穀と士会が兄弟で
>ある確証はないらしい。

史料に見えるこの辺の士氏の血縁関係についての記述は以下のようなものがあります。
・文公二年の杜注:「士穀、士蔿子」
・僖公二十八年の杜注:「士會、隨武子、士蔿之孫」
・文公十三年の孔疏引く『世本』:「士蔿生士伯缺、缺生士會」

これを素直に読むと、士蔿の子が士缺と士穀、士缺の子が士会ということになります。
ただ、いくつかの理由から士穀を士蔿の子ではなく士缺の子・士会の兄弟と考える説も
あります。東大の平勢先生がそうですね。

>士氏は、士穀の家系と士会の家系に大別されるようで、順をおっていくと
>穀 → 渥濁 → 弱 → 丐 → 弥牟、と続き、

士穀の家系についてですが、実は士渥濁が士穀の子であるとする史料はありません。
士渥濁については、『国語』晋語七の韋昭注に「晋卿士穆子之子」とありますが、「士穆子」が
士穀であるという明白な記述もありません。

109 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/04 10:04
>>108
覚悟していたとおりのツッコミをいただいたようです。
『春秋左氏伝』の注に関しては、いちおう自分も目を通してますし、
東大・平勢氏の著書にも目を通し、氏の説である事も知ってます。
あえて長々と書くのもどうかな…と思ったもので、説明不足ですみません。

>「晋卿士穆子之子」
に関してですが、当時の晋で卿ないしそれに類似する人物は史料を見ても
士穀しか思いあたらず、そのために、士穆子=士穀、と解釈してしまい
ました。
断定的な書き方となってしまい、>>99>>100>>102および>>106>>107にも
誤解・迷惑をあたえてしまい、陳謝します。

110 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/04 17:34
しかし賄賂性についてはこれを否定するものであります。

111 :99です:04/04/05 15:15
沢山の書き込みを頂いたようで。
ありがとうございます。
とても勉強になりました。

私はどういう訳か春秋戦国時代が好きで、色んな書物を読み漁ってみてはいるのですが、
発行されてなかったり、絶版だったり、値段が高かったり…(^^;
まぁ、財布と相談の上、マイペースに買い集めていこうかと思ってます。
このスレ、これからも参考とさせて頂きますので、今後とも宜しくお願い致します。

それにしても、竹書紀年とか、普通に売ってるものなんだろうか…(^^;

112 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 18:25
>>111
少し脱線するけど、自分も『田釐子・成子』は読んでるよ。
彼の作品では、戦国時代を描いた『白起』はよかったけど、この春秋時代を
描いた『田釐子・成子』はあまり褒められた作品じゃないね。
最近に出た、春秋末期の晋の六卿の台頭から知氏の滅亡までを描いた
『裂果』も、あまり高い評価は下せない内容だったよ。
(主人公は趙鞅・撫恤の親子)

なんというか、春秋時代の特殊な雰囲気や用語・慣習なんかがあまり
作品内で反映されていないし、撞着もみられた。
たとえば、春秋時代で「将軍」といえば、卿位にあるものの戦場における
地位をあらわすんだけど、彼の作品では独立して軍勢を率いる人物の
ほとんど(たとえば陽虎など)が将軍になってしまっている。

また、知氏の系統は知礫の次は申、そしてその次に瑤がくるけど、彼は
知礫の子を知瑤にしてしまっているし、しかも廟議に加われるのは卿位
であっても当主に限るところを、父親である卿を大卿、子を小卿として
揃って列席させているところとか、違和感を感じまくる。
それに趙氏の家系も勘違いしているのか、大別して趙衰と趙夙の系統が
あるにも関わらず、趙夙の系統を全く無視し、趙午・謖の親子を趙朔の
遺児にしていたような気がする。

これも重箱の隅つつきかもしれないけど、どうにもこうにも………。

113 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 01:08
杜伯の祖先は尭。

114 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 07:53
がんがんやれ


115 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/09 12:03
郤成子について詳しく書かれた文献ってありますか?

116 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/09 13:47
>>115
郤缼の事だね。
『春秋左氏伝』と『国語』、たしか『竹書紀年』あたりも詳しいはず。
前二者でたぶん殆どをカバーできるよ。

117 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/09 20:24
竹書紀年の邦語訳ってあるの?

118 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/09 21:17
>>117
ないんじゃない?
普通に原文で、なんとか理解できてる範囲を読んでるけど。

119 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 01:47
世本による、っていうのはどうなんでしょう?たしか逸書ですよね?

120 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 18:56
どうなんでしょうの意味がよく分からんけど。

諸書に引用された部分が多く残ってるから、それらを集めて輯本が作られている。

しかし引用している書によってその内容が食い違っていたりする。

ex.韓厥の家系について
『史記索隠』韓世家の引く『世本』
 「萬生賕伯、賕伯生定伯簡、簡生輿、輿生獻子厥」

『春秋左傳正義』宣公十二年の引く『世本』
 「桓叔生子萬、萬生求伯、求伯生子輿、子輿生獻子厥」

121 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 23:32
春秋公羊伝が手軽に読みたいのだが。
文庫本とかになってないんかいな。

122 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 23:36
文庫本は流石に無いと思うが・・・
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-jp&field-keywords=%E5%85%AC%E7%BE%8A&bq=1/ref=sr_aps_all_b/250-8825930-9737847

123 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 08:45
>>121
>春秋公羊伝
これって「くようでん」って読むのか?

124 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 09:58
そう

125 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 12:00
公羊学派の人間からマークされる諸刃の剣

126 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 12:24
>>122
文庫どころか、まともに読めるものもなさそう……?

127 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 21:00
全部日本語訳して文庫化してもらわないと、
漢籍何も読めませんてか。
語るに落ちるとはこのことだな

128 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 21:22


129 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 02:44
手軽に読みたいのと簡単に読みたいのは違うだろうが 
大変だなお前の中の人も

130 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 10:58
あげておこう

131 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 11:04
臭いレスはスルーが一番。誰の心にも響かない言葉を吐く輩というのは虚しいものだ。

132 :白起:04/04/18 11:07
アナダセヤ〜

133 :通りすがり:04/04/18 16:05
>>68
>>69
>>70
>昔古文の教師に
>固有名詞の場合は韓非子ではなく韓非だ!

古い話を持ち出して悪いケド一つ質問
韓非子は韓の王族で、韓の国は周の縁戚の国なので
本当の苗字は『姫』となると本で読んだ記憶があり。
韓非子の『非』も現代とは意味が違い『縁戚』とか『類する』と書いてあった気がする。
つまり『韓』王族の『一族』の『先生』となると書いてあった気がする。
どっちが正しいの?

情報ソースはもう忘れたスマソ(==;


134 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 00:00
『韓』は氏で、『姫』が姓では?

135 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 13:00
>>133-134
姓は姫、氏は韓、名は非。子は敬称。
韓非子は「韓非先生」。転じて「韓非先生の著書」。

・・・・くらいの説明で比較的、正解に近いと思うがどうよ?

136 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 13:04
>>135
いいと思う。ただ、

>韓非先生

は、あくまでも三人称で、本人を前にした場合は「韓子」だろうね。


137 :135:04/04/19 15:04
>>136
おっと、本人を目の前にして「韓非子」「韓非」はない罠。

ちなみに書物としての名はもともとは「韓子」でよかったんだけど、
詩経の注釈の「韓子」と区別するために「韓非子」と名前までいうように
なった、という理解で正解ですか?

138 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 15:35
>>137
どうだろう。

自分の認識では、後世の唐の韓愈と区別するために
それ以降は「韓”非”子」となった、という事になってるけど……。
あ、>>70>>135は自分ね。

139 :137:04/04/20 01:00
>>138
あ、韓愈ね・・・
とにかく韓子が他にもいろいろいるから韓非子として区別した、と。

140 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 01:02
漢書芸文志では韓非子は「韓子」

141 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 03:14
韓非って食邑はなかったの?
あったなら、それが氏とか族の名になったり・・・。どうなんでしょ?

142 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 14:35
>>140
それはそうでしょ。

>>141
無かったんじゃない?
というか、韓非が領邑していては、『韓非子』の説くところに
反するんじゃない?

それに、韓非の時代の韓は滅亡寸前で、領土なんて国都の新鄭と
その周辺しか残っていないはずだよ。
成皐とケイ陽を抜かれて、更に上党の全域が秦に奪われて、更に詳細は
分からないけど、その後も十数城が抜かれてるというから、無理っぽいよ。

143 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 22:22
>>142
そうなんですか。ありがとございます。
不勉強で申し訳ないですが、『韓非子』といえば秦王に愛されるくらいですから、
法治について書かれてるだろうことは想像がつくのですが、
>領邑していては、『韓非子』の説くところに反する
ところの根拠はどういったことなのでしょうか?

144 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 23:22
>>143
142じゃないけど簡単に。
秦は戦国期に力をつけたが、領土が拡大してもそれが宰相や将軍の食邑になっていた。
つまり将軍や宰相は秦の為に領土を拡張しているのではなく、
自らが裕福になるために戦争をし領土を拡張していると。
戦争で掛かる戦費・人は秦で負担しているんだから、これは宰相や将軍が寄生しているのと同じな訳だ。
だから、『韓非子』では部下を封じるのを諌めている。
大雑把に言うとそんな感じ。

145 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 00:06
わかりやすくご説明くださってありがとうございます。
なるほど。しかるべき地位の者には食邑でなく、それに応じた禄を与えるということですね。
ところで、その『韓非子』がいうところの教訓は、当時としては中原諸国君主に一般的に容認
されていたのでしょうか?
それとも、それを実践したのが秦だけで、それゆえに六国を滅ぼす国力を得られたと言えるでしょうか?
愚問ばかりで失礼します。

146 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 01:50
国家のために正しいことが個人の利益に合致するとは限らない。
わかりやすくいうと今の日本の構造改革が進まないのと同じ。

147 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 02:25
つまり、今の政治家&官僚は穴埋めと言うことだな。

148 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 09:13
>>145
『韓非子』の思想の特徴は一元化ということにあると思う。
命令は1箇所から出され、功罪は法によってのみ賞罰が下される。
他国ではある時は王から命令が出されるが、ある時には王の兄弟から出される。
功罪は規則によって賞罰が下される時もあるが、
王や王族の「斟酌」で賞罰がくだされる時もある。
つまり統治が多元的に行われ混乱している。

秦は法によって強国になり、権力の一元化によって中華統一を成し遂げたといえる。

149 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 23:32
要するに絶対王政による富国強兵策と解釈して問題ないですか?
とすると、春秋時代はともかく、戦国時代に王権が弱化して公族・宰相の
強権が著しくなったことを考えると、戦国末期に現れた『韓非子』というのは、
ある意味、「王政復古の提唱」といった性質があったのでしょうか?

150 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 00:01
秦は既に王政なんだが。
周のような政体を目指したという意味ならNO。
極端な天才や馬鹿君主のことは考えてもしゃあない、凡人基準でいこうや。
てなこといってるから。
官僚制の集権国家を目指してた様な雰囲気ではある。

151 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 00:43
韓非の不幸は、春秋戦国思想史の中に老・荘が先にきてしまったために
ついに「実存」の問題が明確化しなかったところ。

自分の栄華が国家あってのものだと自覚できない
つまり国家にアイデンティティファイできない
つまり実存が国家にない者に対しては、
韓非の言葉の切実さはぜんぜん届かない。

政治家や官僚がデタラメやってても、デモのひとつするでもなく
月曜の朝になればラッシュももまれて会社にいくような
日本人には、永遠に韓非を理解できない。

152 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 00:51
演説は止めてほしい。

153 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 10:05
>>149
>戦国時代に王権が弱化して公族・宰相の 強権が著しくなった

そう? 戦国期の君主の威権は春秋期以上と思えるけど?

154 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 13:21
秦と楚の決定的な違いは何だ? 勝敗を分けた差は?
食糧なんて何倍もとれたんでしょ、楚の方が
 


155 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 15:37
根性


156 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 16:55
>>154
少しは自分の見解を挙げるなり史料等から考察するなりしてくれないと、
質問の回答が広範になりすぎて、誰も答えてくれんぞ。

157 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 17:09
>>155
思わずワラタ。

でも楚の方が根性ありそうな感じがする。

158 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 23:59
楚あぼーんは、王が秦に連れ去られたりの非常事態だってのに、
実力者たちが権力争いばっかやってたから、ってとこ?
とりあえず屈原萌え。

159 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 01:09
制度が老朽化してたんじゃないの?
古い位とか残ってたみたいだし
経営のスリム化しないとだめってのは昔も今も一緒なんじゃないかね

160 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 09:38
>>159
経営のスリム化じゃなくて、権力の一元化が必要だったんだろ。
王以外の人間が権力を持ち始め、宰相やその食客が恣意的な政治を行った。
楚程質朴な勢力がスリム化できるわけがない。

161 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 10:23
>154
天命

162 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 12:45
>160
それをスリム化と言う。

163 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 14:07
スリム化なんて曖昧な言い方私は嫌いです。
経営学的にはスリム化なんて言葉は認められていない。

164 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 14:31
>>163
面白いなお前

165 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 14:37
「経営のスリム化」なんて一般的に使われる表現でしょ。
誰も学術的な立場で経営について語ってないじゃない。


166 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 16:45
いっそムスリム化すれば秦も敵ではなかったかもしれない

167 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 19:22
しかし秦の滅亡の顛末を見る限りでは、
始皇帝も韓非子を完全には理解してなかったんだろうなぁ。

168 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 22:08
>>167
と、言うと・・・?

169 :167:04/04/26 00:21
>>168
始皇帝って宦官の趙高を重用してたでしょ?
趙高が始皇帝の死後にやったことを考えれば
重用すべきじゃなかった。
韓非子の要諦は法律の「法」と部下を操る「術」が
2本の大きな柱のはずなので、
術を使いこなせてなかった始皇帝は
韓非子を完全に理解していたとは言えないだろうと思ったわけ。

170 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 00:27
自分を法の外においたのも失点。

171 :167:04/04/26 00:42
なるほど。

172 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 10:38
誰かの解説で「法」「術」「勢」の3要素とかいってなかったかな?

173 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 12:27
秦王政

174 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/01 13:47
>>167
レーニンはマルクスを理解出来てなかったよね

175 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 23:46
礼仁
冷人

176 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 00:07
ひとりでもレーニン

177 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 00:42
>>176
(; ゚д゚)ザワ(;゚д゚;)ザワ(゚д゚ ;)

178 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 01:29
さんかくでもマルクス

179 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 12:49
この時代のゲームが無いのが残念だ。

180 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 13:59
>>179
つくればいいじゃない。おまいさんが。
そして印税ウハウハ生活へ。

181 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 16:22
紙面ゲームなら作れるかも。
さいころでCOMを操作して・・・(ry

182 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 19:16
いただきストリートみたいな感じでゲーム化

183 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 02:01
>>179
「孫子」という有名なシミュレーションゲームがあるでそ

もう何度もガイシュツだと思うけど・・・

184 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 06:59
>>181
食いつく奴がどの程度いるかはともかく、TCGとか…

185 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 16:12
>>179
史記英雄伝ってRPGがスーパーファミコンで出てたよ。
項劉記もあるし。

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