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誤解を与えるような人物紹介をするスレッド

1 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 23:56
ルール
嘘を書かない

2 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 23:56
2

3 :公明:04/04/19 23:57
公明ですよ!

4 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 23:58
夜間、船で赤壁のそばによると荊州水軍んも亡霊が出る。

5 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 23:58
北条氏康…

6 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 17:27
AGEてみる

7 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 17:32
北条氏政・・・辛党

8 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 17:33
 魏延
五虎将亡き後、北伐を支えた名将。
孔明から常に重役を与えられた。
孔明の死後、軍内部の騒乱で裏切りに会い、後を追うように死亡。

9 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 17:40
 武田信虎
甲斐を統一し、今川軍一万超の大軍を撃退した智将、
外交努力にも敏腕でその今川との同盟を成立させた。
だが早々に息子に位を譲ると今川家に居候し、静かな
老後を送った。その穏やかな生活のおかげか長生きした。

10 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 18:45
なにも誤解できない
まんま史実っぽい




11 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 18:49
本スレ?参考にしる。

誤解を招く紹介文を書くスレ part3
http://that2.2ch.net/test/read.cgi/gline/1079441027/l50

12 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 18:55
司馬の発達

13 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 19:14
于禁

sex:♀

14 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 19:18
石田三成
秀吉に媚び諂う武将。北条征伐では忍城攻略を任され、
「秀吉に倣う」として水攻めを行うも失敗し、諸将の嘲笑
を買う。しかし秀吉の意向を汲むことに長けていたため
奉行として近くに侍る事を許された。権力を握るにつれ
三成は諸将に対して傲慢になり、朝鮮出兵では対立した
加藤清正を讒言し、一時謹慎処分にさせるなど好き勝手
な振舞いが目立つようになる。
秀吉が死ぬと弾劾され奉行職を失い佐和山に蟄居する。
大名勢力を引き入れて権力を取り戻そうと画策するが
徳川家康に敗れて六条河原で斬首された。享年41歳。

15 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 19:25
韓信
その武力から「国士無双」と称される漢の三傑の一人
猛将なのに頭も切れに切れた
先方で有名なのは「背水の陣」「四面楚歌」

16 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 19:35
誤解も何もまんま

17 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 19:53
>>11の前スレあたりであったネタ(うろおぼえ)

・天下の名城を居城としている
・隣の半島に攻め込んだが征服できなかった
・息子は天下人の軍勢に滅ぼされた



北条氏康

18 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 20:06
>>17
なるほど上手い。
しかし、三国志戦国時代の人物限定で勘違いさせるってのは難度高過ぎでは

19 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 20:25
源氏の流れを汲む名門の当主で、諸国を放浪したともいう。
彼は塚原卜伝に剣術を学んでいる。彼が剣を振るう小説もある。
内政にも一定の功績があり、文芸にも秀でていたが、
いかんせん戦国時代はあまりにも過酷であった。
伝統と格式を誇っていた彼の居館は、
いかにも戦国らしい有名な武将の攻撃を受けて炎上するのである。



今川氏真

20 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 20:41
彼は稀代の悪雄と言えよう。
主家を裏切り、仏教勢力と敵対すれば貴重な文化財もろとも寺を焼き、
更には将軍にまでその毒牙は及んだ。
しかしその悪行が祟ってか最期は自害に果てる。


織田信長

21 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 21:09
近江国坂田郡、小谷城――
天下にその名を知られた堅固な山城。
城を去る彼女の目に、その城はどのように映ったのだろうか。

戦国時代、政略結婚は数多い。
男たちの野望や意地や義理で翻弄される戦国の女たち。
結婚によって約束されたはずの両家の同盟が破綻したとき、
彼女たちはどのような悲しみを甘受すればいいのだろう。

湖は悲劇を静かに語っている。



平井氏(長政の最初の妻)

22 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 21:52
■諸葛亮■
字を孔明、瑯邪郡陽都県の人。漢の司隷校尉諸葛豊の子孫。
戦乱を避けて荊州に移住。劉表に仕官するも試験に失格。
仕方なく、劉備の元で重用されるようになった旧友徐庶の
縁故を頼って仕官のくちを世話してもらう。劉備の陪臣と
して徐庶のもとで軍略を学びながら行政に携わる。
徐庶のもとで地味な処務に追われていては出世が困難と判断し、
曹操軍が迫ると、「徐庶が曹操に通じている」と劉備に誣告し
おとしいれる。謀略は功を奏し、徐庶を追放した劉備から信用を得る。
以後陳震のもとで税の徴収に勤める。
劉備勢力が荊州から追われると、側近の馬良を通して劉備に要請し、
孫呉への援軍要請の使者に志願する。要請が容れられると
急遽江水を下り呉に入る。周瑜や魯粛等の武断派与党によって会
戦を決断した孫権から援軍要請の承諾を得る。
疫病で死亡した兵らの大規模な火葬を終え南郡に退却する
曹操軍を急襲した呉軍が、荊州攻略に手間取っている間隙をつき、
手薄になった南方四郡を併合した劉備によって軍師中郎将に任命される。
益州攻略戦では劉璋の謀臣法正から内通をとりつけ、連絡を取り合う。
趙雲の参軍として成都城を包囲。劉璋の降伏で成都開城すると、
L統の戦死が幸いし、軍師将軍・左将軍府事に任じられる。
以後成都の留守を任され、各郡県に重税を課し国庫を豊潤にすると、
益々劉備の信任厚くなり荊州派与党の筆頭格にのし上がる。
劉備が漢中王に即位すると、席次第一位の法正による益州派
の勢力拡大を危惧した荊州派家臣と謀略を練り、法正に刺客を差し向ける。
暗殺は成功、益州派の発言力は縮小し荊州派が政権を掌握する。
真相は闇に葬られ見事筆頭軍師となる。劉備が帝位に就くと主席宰相に任命される。
関羽張飛らの死亡にしたがって尚書、司隷校尉を兼任、次第に権力を
一手に掌握するようになる。
死の床にある劉備に武郷侯に封じられると、董卓と同様に幼帝を
奉戴し国家を運営する。
その後、北伐を繰り返すがすべて失敗し、国力を疲弊させたあげく、
失意の内に陣中没した。忠武侯と諡される。

23 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 03:52
知識とユーモアの二つが必要とされる参戦板最高レベルのスレッドですね

24 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 03:56
劉備玄徳
221年に蜀を建国し、昭烈皇帝となるが
戦いのさなか、呉の裏切りによって弟の関羽と張飛を失う

25 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 04:11
そのまんまじゃないかというツッコミは禁止ですか?

26 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 04:25
主君の今際の際に息子を託され、幼き当主を守り立てようと粉骨砕身働く
本来は政治家であり、軍略は苦手と称されながらも勇猛な配下を率い強大な敵国と戦う
先主に絶大な評価をされた知略を持つが、志半ばにして死去
私欲なく、最後まで忠義を貫いた義の人であった



石田三成

27 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 04:54
その男、非常なる覇王の血を身体に宿す。
人間離れした手耳を持ち、稀に民が差し出す人肉をむさぼり食う。
幾多の漢を惑わせ、己の野望の為に使役し最終的には破滅に追い込む魔性。
後世の権力者にも「農民の夢」と評される、百姓から一国の皇帝に成り上がった乱世の英雄。





大耳野郎

28 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 05:39
彼の父と兄は有名な武将だが、彼自身は40歳になるまで功績が全く無い。
風采も上がらず、「年よりも老けて見られます。歯があちこち抜けているので困ります」と自分で友人に
述懐したほどで、城に入る時に門番に馬鹿にされるほどだったという。
戦の時も出城を一つ任されただけで、最後には進言を退けられ少数の兵士で敵の本陣に斬り込んだ。
生涯たった一度の激戦。彼は縦横無尽に戦った。
この戦いであえなく討ち死にしたとも、幼い主君を連れて逃げ延びたともいう。

真田信繁(一説に名は幸村)

29 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 09:13
天下の名門、袁紹から招聘されたが、捨てて
劣勢明らかな曹操に仕官する。
智謀に優れ、さまざまな策を献じ、
官渡の勝利も、彼の功績によるところが大きかった。
ただ、品行に問題があったのが玉に瑕といったところだろうか。
しかし、彼は官渡の後五年と経たず、荊州征伐の前に世を去ることになる。


許攸

30 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 12:07
幕府の実権を奪い私利私欲に走る主家の三好氏を打ち倒し、
乱世を治める力のない将軍足利義輝を失脚させ、
仏門にそむき狼藉を働く奈良東大寺の僧侶達を粛清し、
幕府・朝廷をないがしろにする織田信長と互角に渡り合い、
戦国の武士としてふさわしい最期を飾る


松永弾正久秀

31 :が@Mたんちゅき p3173-ipad04fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp:04/04/21 21:15
いち早く鉄砲の導入を進め、上洛し、日本全国を武家のもとに統制しようとした。
周辺の有力大名らを敵に回し、包囲網を敷かれるなど、いくどか危機的状況を迎えたこともあったが、
そのたびに外交交渉や、彼の同盟者や家臣たちの軍事的な働きによって、その危機をはねのけた。
家臣の謀反によって彼の子供ともども京都で絶命するまで、畿内での統治はおよそ十数年に及んだ。

その晩年には、旧来の有力家臣があいついで粛正されるなどの事件もあり、
もしかしたら、この謀反には、このときの粛正が関係しているのではないか、
と言うものもいるが、その謀反の背景については依然、日本史の謎の一つである。

また鉄砲の普及にともない、それまでの木の柵と土塁からなる城に、
あらたに石を多用するなどした新時代の築城術を模索したことでも知られる。
城下には鉄砲鍛冶をあつめ、キリシタンの教会までもその領内にはあったという。

たびたび仏教界と衝突しながらも、
その存命中はキリシタンを保護し続けたことでも有名であり、
金銀を豪奢に用いた彼の宮殿は、彼の死とともに、完全に焼失したが、
その内部の様子については、彼の庇護を受けたフロイスら宣教師が、
その著書や書簡に詳しく書き残していることなどから、うかがい知ることができる。

美術面においては、新進の絵師、狩野永徳を重用した。
おそらくは焼失した彼の宮殿も、
永徳の手になる様々な絵画で飾られていたのではなかろうか。

最近の学説においては否定する人々もいるが、
上杉謙信に、この永徳の手になる洛中洛外図を贈ったのは、彼であるともいう。


えーと織田信長じゃなくて、足利義輝。

32 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 22:21
>31
上手い!良く引っ張った!

隣国の大名と同盟し、一時は覇を唱えた戦国武将。
若き日は諸国を放浪するなど辛酸をなめたが、
弟とのお家騒動に打ち勝ってから、頭角を現し近隣の大勢力を撃破。
中年になってから押しも押されもせぬ大勢力となり、各地に巨大な城郭を構築。
一説には20万ともいわれる大軍勢を抱え、諸大名から恐れられた。
晩年に腹心の裏切りで窮地に陥ったものの、逆に腹心を追放して地盤を磐石にした。
子供を諸大名と上手く縁組させ、子孫の領地を合計すると10万石以上になるという。





本願寺蓮如

33 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 22:39
呂布 奉先
并州五原郡の生まれ。
養父・丁原に従い入朝した。丁原は強力な騎馬軍を持っており、董卓に目をつけられた。
仕官の誘いを断ったことを恨まれ、ついには董卓の刺客に殺害されてしまう。
呂布は仇討ちを狙うため董卓のもとに軍を率いて投降した。
董卓は連合軍との交戦後、長安への遷都を強行する。呂布はこの時の怨嗟の声を聞いて涙したと言う。
呂布は、董卓が長安入城した瞬間を狙い斬り殺した。
董卓の腹心である王允、李粛、李カクらは懐柔していたので大規模な反乱は起きなかった。
郭が一人抵抗を続けていた。知者賈クが郭のもとへ奔ったという誤報が流れたため、賈クに従う者が続出。
李カク・張済の裏切りにあい脱出を余儀なくされた。

スマソ・・・誰か続けてくれ。

34 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 23:13
次男坊であり、本来は跡継ぎではなかったが、
長男の死後、苦節を重ね王朝の基を築き、皇帝を名乗った。
善政を敷き、王朝の全盛期を築いた。
だが、晩年は後の争いの基も作ってしまっている。







李世民

35 : ◆BAkAD33Z2c :04/04/21 23:14
漢末の名臣。
仕えていた主が裏切りにあって殺された際には仇を報ずる策を巡らし、それに成功しても功を誇らず、政権の中枢として活躍する。
その後、政権が崩壊した後も人望と能力ゆえに軍閥間で厚くもてなされた。
最終的には漢の皇帝の元に戻り、再び活躍する。
漢が曹氏に禅譲した後、曹氏もまた彼の実力を認め、彼を三公とした。




カク

36 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 01:21
人望厚き人で、一芸に秀でた人物が集まりその数三千人を軽く超える
その中にならず者や犯罪者が混じっていたりもする
人数が膨れ上がりすぎて困難に陥ることもしばしば
様々な危機に面するも、優秀な腹心やその大勢の中の一部の人間の働きにより逃れる





ひろゆき

37 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 17:39
大国に立ち向かうべく雌伏の日々を送っていた人物から
厚い礼をもって迎え入れられると、自ら他国との同盟を成功させ、
主君の長年の宿敵を相手に見事大勝利を収める。
その後もさらに勢力を拡大。それも全て彼の卓越した軍略によるものであった。
やがて主君がこの世を去り、凡庸な息子が跡を継ぐ。
この凡君は外征を続ける彼に対し、謀叛を企んでいるのではと邪推して
彼を召喚しようとするなど、将兵らの士気や歩調を大いに乱した。
この主のために、結局彼は先君の悲願を成就させるには至らなかった。
彼が主君にあてた書簡には、亡き先君の大恩に報いんとした
厚い忠義の心が綴られており、後世の多くの賞賛と敬慕を集めた。

38 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 19:52
>>27
高祖(劉邦)ならまだわかるけど
覇王(項羽)の血?

39 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 20:29
長江以南という辺境に住んでいた野人。
 昔のエライ策略家の姓を騙り、しかし彼自身は川賊を倒すといったような話ばかりの脳みそが筋肉だけの男をまず主君とした。
 その後、揚州で散々暴れ回ったこの主君の息子に付き従ってはいたが、
 この息子が死んで、穏健な弟に政権の座が移ると、厄介者として長江以南のさらに南。超辺境で山賊退治をさせられる。
 しかし、北の進んだ文明国が攻めて長江以南の支配が揺らいでくると、この野人ですら戦線へと立たされる。
 その戦のさなか、この野人は鞭に打たれるというマゾティスティックな趣味をし、高揚した肉体でどうやったのか、
 火を体に纏いながら、北の文明国に突撃。北の文明国はこの野蛮な攻撃を予想できず、敗北する。
 つまり未開の地への進出をあきらめたのだ。
 炎の特攻が終わった後の彼は、ずっと我慢していたうん○をするため、トイレに駆け込んだ。
そして、勢いよく閉めすぎたのかトイレに閉じこめられ、その大戦が終わるまで必死に友の名を呼んでいたという。
 
 黄蓋  公覆  

40 :無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 20:30
>>37
孔明?

41 :37:04/04/22 21:21
>>40
答えはメール欄に書いておきました。一言添えるべきでしたね。申し訳ありません。
ご指摘のとおり、孔明と誤解されるような書き方をしましたが、内容は全て事実です。

42 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 14:00
東海に生まれ、語学を修める。
齢四十にして、戯書を著し、絶賛される。
十三年後には、職を辞して執筆に専念する。
歴史を扱うことにも強い興味を持ち、幅広い年代を舞台にした作品を数々発表。
その題材選び、人物配置は絶妙とされ、
彼の書は、歴史愛好家の広く蔵するところとなる。
心筋梗塞で67歳にして世を去ったとき、動揺せぬ者はいなかった。

彼のライフワークである「呉・三国志」は、いまも読み継がれている。。。

伴野 朗
参考スレ
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1077946661/

43 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 00:05
良スレ保守age

44 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 02:00
強敵を征伐するため当に軍を鍛錬していた英雄を心惑わせ
ために軍が失うものは多かったといわれる、魔性の女。

えーと、雛氏・・・じゃなくて、キンゾクチュウ

45 :無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 02:06
作者によるオリジナルキャラクターを狂言回しとして
登場させ、さらに作者自身による解説を適所に挿入。
史書に散見される神仙や宗教の類を敷衍させることにより
物語を立たせることに性交。また、五丈原における
孔明と司馬懿の胎児は、打算的な司馬懿による八百長の要素が
あったという説を採り、これまでの三国志小説では類を見ない
筋書きに仕立て上げられた、三国志小説の白眉を完成させた。




陳舜臣…じゃなくて伴野朗。

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